私のかな学習法

 「かな部」と「筆ペン部」の師範試験課題が10月号ペン誌上に発表されました。
「筆ペン部」につきましては何とかなるものの、「かな部」におきましては三課題すべてが臨書と創作ですので、これは結構大変です。
 全国展や講習会などの折に、かなはどのようにして勉強すればよいのか・・・と、よく問われます。
そこでこの機会に、参考になりますかどうか・・・私なりのかな部師範までの学習法を記してみます。

 「ペンの光」で学び始めて少したった頃から、「かな部」の競書を出しはじめました。
そして何年か後に、現在の級位表示の準師範に当たる級位まで昇級することができました。
しかし、すべて参考手本の物まねばかりでの出品で、自分で創意工夫したことなど皆無でした。

 これでは級位に自分の実力が伴っていない・・・臨書も勉強したい・・・創作もできるようになりたい・・・と。
そこで、私の好みの作風でいらっしゃった大久保紫秋先生に、数年間ご指導を仰ぐことになりました。
この間、古典は基本とされる「高野切三種」と「寸松庵色紙」を自ら選びご指導いただきました。

 臨書は、それまでほんの少しですが自分なりにはしておりました。
本物そっくりにただ真似て書けばいいのだ・・・と単純に思っていた私にとって、古筆の味わい方、観察の仕方、一度に学ぶ量や学ぶ速度等々・・・
わずか1ページを何か月もかけて学んでいくなど、古筆の奥の深さはまさに目からウロコ・・・でした。

 先生の古筆への感動がレベルの低い私には中々ピンと心に響いてこなかったりで、情緒豊かな先生はあの手この手で色々なものにたとえたりして理解させてくださろうと、随分ご苦労なさったと思います。
でも、「この部分は創作に応用できますね。」とか「この文字とこの文字は対話しているようですね。」「筆意だけを見るのではなく、縦線をたどると流れが見えますね。」等々の作品の見方やアドバイスは、一人で学んでいては気付くのに時間がかかったであろうと思われることばかりで、大変有意義な期間でした。
そして先生から離れてから後、改めて学びなおした時、新しい発見があったり、すんなりと心に響いてくるものがあったりで、少し力を付けた後に、また期間をおいて同じものを繰り返し学ぶことも大切だと実感しました。。

 先生についたのを機に、今までのかな部の級位を捨てて白紙にもどし、参考手本に頼らず創作の作品で出品することにしました。
そして再び準師範まで到達はしましたが、これも大久保先生のお力をお借りしてでの昇級で、100パーセント私自身の力で勝ち得たものではありません。
 そこで、先生から離れて一人で学び始めました。
毎月の競書はどんなに大変でも、結果どんなに成績が悪くても、物まねで良い成績をとるよりはずっとまし・・・と自分に言い聞かせながら。
本名では審査の先生がやりにくいでしょうし、厳しく審査していただいた方が有難い・・・と、義母の名を借りて一から出直しました。

 先ずは、課題に出てくる言葉や文字を学んだ古典の中から捜し出し、その部分にトレッシングペーパーを乗せ写し取ることから。
それからペン誌の写真版になっている作品などの散らし方や、手持ちの本をなどを参考にしたりで創作開始。
締め切り間際まで、書いては直し、また書いては直しで四苦八苦の連続でしたが、いつも満足いかないままの出品でした。
でも、毎月のこの繰り返しでいつの間にか、古典から写し取ったトレッシングペーパーも充実し(写し取るとき、言葉や文字をアイウエオ順に用紙を替えた)、自分なりの字典ができて、学んでいることの積み重ねが目に見えることで励みにもなりました。
たまには写真版に載せていただけたことが、こんな調子で学んでいけば良いのだと自信にもつながり、準師範になりました時は素直に喜べました。

 ペン誌の添削指導で不自由しなければ、私はかな師範の資格など必要ないので、ズーッと準師範に留まっていようと思っていました。
しかし、全国展の審査に参りましたら、私の書いたこともない力作が沢山並び、それらをも審査しなければならない立場です。
「私はかな師範でもないのに・・・」と、申し訳なさや後ろめたさをいつも感じておりましたので、一度や二度は落ちることを覚悟で師範試験への挑戦をすることにしました。

 運良く初回で合格できましたが、まだまだそれにふさわしい実力が伴っているわけではありません。
学ぶことは山ほどありますので、少しずつ前進できるよう努力は続けているつもりです。
五十肩で苦しんでいた時、書けない時は見ることに力を入れてくださいとのアドバイスはとても有難いことでしたし、美術館などの展覧会などにもできるだけ足を運ぶようになりました。そこで本物に触れることの大切さも知りました。

 長いこと指導しておりますと、たまに敷き写しではないか・・・と思われる作品に出会ったりします。
書いた文字が、どの作品も全く重なるなど私にはなかなかできませんし、その人を直接知らなくても、文字の形の良さと筆勢や筆圧、空間の状態などから違和感を感じたりするものです。
毎月の誌上審査を担当の先生方から、「書いているところを見ているわけではないので・・・」と悩みをお聞きすることもあります。
たまに誌上でご注意があったりしますが、誌上の講評までよく読んでくださっている方がどれほどおられるのか、気になったりしています。
 字形やリズムなどを学ぶためには、敷き写しも悪いことではありませんが、競書や試験は自分の力を発揮して望んでいただきたいと思います。
ほとんどの方々にはこのようなこと申し上げる必要など無く、失礼かと思いながらあえて記しました。

 試験締切まで1か月ありますので、挑戦者のご健闘をお祈り申し上げます。


                     マサカリカボチャ千樹橋